儀式は変わる?
私の周りに残るのは、多く儀式であるが・・・。冠婚葬祭から、各種の祭礼がる。
これらの儀式が、コロナ禍での集合を控えたことで、省略、簡略化を実施をされてはいるが、絶対的な儀式ではあるが、簡略化がされていることも現実である。
改めて考えてみると、今までは必須と思われていた葬儀もそれなりの方法が模索され、多様化をしている。今までのパターンと違ってきているような気がする。
先日、ある互助センター(私の葬儀が行ってくれる葬儀社)の会報に、曹洞宗 「桂岩寺」(五百羅漢)の住職のインタービューが、掲載をされていた。ちょっと、葬儀社の会報に住職のインタービューも珍しいきもするが・・。
「桂岩寺の五百羅漢について」・・「曹洞宗とはどのような宗派か」 「輪島塗と曹洞宗のついて」「能登と加賀の葬儀の違い」最後は「震災を受けて葬儀はどうあるのか」の中で、何もかも今まで通りではなく、あり方を模索すべき時期が来ているとかかれてあった。
能登の葬儀だから、加賀の葬儀ではなく、”合わせていく力” だそうです。(👉これはどのようなことを意味しているかわからなかったが、どうもどちらでもいいと解釈をした)
最後に、極論を言えば、宗派の垣根を違いを取り払い「皆の衆、皆の宗」でいけたらよいとのお話でした。震災も復興も「人を助けるのは人」であると結ばれていた。
この方丈(蒲田敬章住職)はユニークな発想である。門前の総持寺祖院で修行をされたようです。現在は、能登には、70カ所の禅寺があるらしいが、被災状況を調査をされているとのことでした。
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