頼母子講
今朝の朝刊で、金沢市の山間の町(ここから20分)の在所では、今でも頼母子講が行われているとのことでした。金融機関に頼らない積み立て貯金のイメージであるが、この相互扶助精神の先人の知恵には、脱帽である。
小さい頃は、いろいろな形の頼母子があったような気がする。今は、どうかわからないが、これは、住民の繋がりを強くしていたことは、間違いない。相互信頼で成り立つシステムである。これで具体的な、購入していた記憶は残っていないが、そこそこの金額が、利用できたような気がする。
親の代わりに掛け金?をもっていったような気もするが・・。ここでは、講の方々が、一杯やりながら、情報交換をしていたように思える。この例会で、抽選をしたことは、ちょっと憶えている。
相互信頼に基づく、地域内での、金融機関の役割を果たしてきたともいえる。併せて、地域内のコミュニケーションの手段でもあった。人と人の繋がりもそれぞれ区々となったことはちょっと心配でもある。これらは、地域の「自助」「共助」「公助」の初動である「共助」意識の薄れになっているような気もする。
確かに、「頼母子講」古い仕組みではあるが、それなりの機能を果たしていたよう気がする。今の新興住宅地では、築けない相互扶助の究極のスタイルであったと思えます。遺っているところは、素晴らしいことである。
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