「親が泣くよ」と
昨日の北国新聞の「時鐘」であるが、ちょっと扱うテーマや、視点が変わったような気がする。コラムの担当が変わったのか、変えたのか・・。
「親が泣く」等の用語は、儒教的な心情的に、相手の心情に訴える常習手段である。
今回の残虐行為を行ったロシア兵に家族はいるだろうとのことであるが、戦場にいるのは、本来は、家族、国を防衛のために戦争を行っている兵士に求めるは、それは、戦争を知らない我々の世代の頭の中での表現であると思える。そこにには、自信の生死に関わる事項で生きるために行ったと考える。
もともと戦争とは、そのようなもで、そこに起きることは、その人の生死をかけた結果である。もとより戦争によって解決されたことない。戦争事態は、兵士が兵士を殺す殺人である。しかしこれは、罪にはならない。侵略は、今後も起こるが、それを抑止するための軍事力は必須である。核兵器を持つと、膨大な軍事力でも侵攻を防ぐことそれを立証されている。
いろいろとあるが、それぞれに親がいるが、家族がある。当たり前である。しかし、それより前に、このよう立場におかれるのは、指導者ではなく、1兵士であり、それを「親が泣いているぞ」の心情を求めるのは、いささかどうかと思う。ちょっと感情的には、戦後生まれの私を含めて、77年での平和がなせる表現かと思える。
« 障子の糊(両面テープ)とか外壁補修とか | トップページ | 参議院議員選挙の公示 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「ふてほど」流行語で思う(2024.12.03)
- 法務局に行ってきた(2024.12.02)
- 認知症の治療(2024.11.30)
- マイナ保険証の裁判(2024.11.29)
- 耐震補強の政府補助(2024.11.28)
軍人の家族や親は、生きていることが大事で、泣くのは戦死したときだけですね。
投稿: 玉ヰひろた | 2022年4月 8日 (金) 19:36
玉ヰひろたさん
紛争も、戦争でも、生死に関わるのは、駒扱いをされる 兵 です。これが矛盾ですが、常識です。
投稿: hide ひで | 2022年4月 8日 (金) 20:53