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2022年3月13日 (日)

戦争の抑止力(ウクライナ戦争)

このところ、ウクライナ戦争で、他国の突然の侵攻で、国がめちゃくちゃになり、平穏な生活から、一瞬にして、廃墟され、住むとこも食べるものもなくなり、今まで、経験のない、生活になった。国の役割としての、国民の安全がなくなった。これは端的に政治の責任である。勿論他の国に侵攻をした国の責任は、重大ではあるが、それを平和的に解決できなかった政治にも責任がある。

日本でも、にわかに、中国、北朝鮮の侵攻を想定して、核共有なる議論が出ているが、これは、大いに議論ををするべきである。最終的には、国民の意見に委ねるべきとは思うが、想定議論は進めるべきである。安保を含めて、日本の防衛の在り方にかかる。

日米安保の核の傘下は、侵攻があったときに、機能するかである。今回のウクライナは同盟国でなかったが、ロシアが、核兵器の保有国であったことで、アメリカは直接介入を控えている。これが同盟国なら自国の軍隊を、日本のために犠牲を払うかである。日米安保は、アメリカ軍が常駐しており、状況が違うが、尖閣、千島等での対応に不安を持つ。

『核兵器は持っていても使えないから抑止力にならない』という意見を初めて聞いた。核兵器は使ったら双方とも破滅的な事態になるから抑止力が働くのだ。核を持たない国は、核を持つ国から攻撃を受けやすい これは至極当然である。被爆国である日本は、核三原則は貴重な心情ではあるが、侵攻されてもこの原則を守るのかと、問いたくなる。

あらためて、日米安保条約、核共有、核保有、また核に変わる抑止力を含めて、国を挙げて、議論をすべき時期に来ているゆな気がする。勿論、戦争や兵器がいらない地球であるのが、理想である。しかし歴史は、そうでないし、今後も継続すると確信できる。よって、戦争のための兵器ではなく、戦争抑止力としての自衛隊、兵器保持であったほしい。

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コメント

日本では、非核三原則ではなく、「話題にせず」「考えない」を含めた5原則と聞いたことがあります。核を含めて議論することを保証しているのが憲法なのに、護憲を叫ぶ人ほど護憲精神がないことに気づいていません。議論するだけでも抑止力になると思います。

実際は、アメリカ軍が核を持ち込むことを日本は条約(沖縄返還の条件)で認めているのを公表していないだけだということは、アメリカの公文書によって知られています。
それを公の場で議論したい方々と、そうでない方々での議論だと思います。

震災の時、アメリカ軍は「おともだち作戦」というのを行いましたが、アメリカからは「まず自衛隊が先に行動すること」とい条件が日本側に突き付けられていました。

マスメディアの報道には、そういう肝心なところを意図的に矮小する傾向が強い気がします

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