平穏な日常でウクライナ侵攻
今回のウクライナ侵攻で、国と国の在り方などで、平和ボケをしている戦後世代にとっては、この現実は、まさかの出来事であった。暫く紛争として継続するであろうが、一部の政治の動きで、国民が翻弄されるのは、本末転倒である。
いろいろの経緯はあると評論はあるが、いじれにしても、軍事力での制圧である。これは、約76年間の平和ボケの世代にあるとはおもっていない。自衛隊の不要論的な議論は、単なる空論であった。軍隊さえあれば、行使をできることをしめした。周りも関係国も、非難はするが、具体的な支援はない。これが実態だったことを認識をした。
恐らく、ウクライナも「侵攻」「支援」がないとは、想定外のことかもしれない。これだと国民に、「国を守ろう」と要請するのは、当たり前のことかと思うが、国民を守る立場から、事前の外交があったように思える。これは、外交の失政である。
これは、日本でも起きることで、尖閣や、北方4島、竹島でも同じである。たまたま、日本国民が、在住をして居ないだけである。軍事力さえあれば、侵略できることをしめした。今後の国際関係は、厳しくなることは、確かであるが、目的は、達成できる。どこかの国と同じで、核兵器の保有が、これを可能にしているような気がする。抑止力として兵器を持たない国の悲劇である。あらためて、侵攻されない外交は、もちろん必要であるが、それなりの抑止力としての兵器は、不可欠なような気がする。
その意味で、犠牲者がでてから、外交チャンネルをベラルーシで行うらしいが、これでウクライナ国民の大統領としての決断の時期が、適切だったかと問いたくなる。(まさか全国一挙侵攻の想定がなかった?)
もう1つ気になるのは、政治へ不信感である。彼らは、ケガもしないし、家族も安泰である。その具体的に死傷する人は、戦場となる場所で働く?兵士や、その場所で居住する国民である。これを忘れてはならないことである。犠牲になっているのは、一般国民であるのは、戦争の常である。国を守るのは、外交と軍隊であることは、確かである。
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