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2022年1月29日 (土)

むかしのことを思い出した

昨日のことであるが、ジムの風呂場で、入浴さえている方が、東別院(浄土真宗大谷派東本願寺 金沢別院)火災の話をされているのを聞いていた。どうして東別院の話になったのかは、聞いていなかったが・・。その方は類焼し、もう一方は、風向きで助かったとのことである。

そういえば、寺町に下宿していて、W坂(ダブル坂)の上から、燃えている様子を眺めたことを思いだしました。それは、確か昭和37年の6月頃だったと記憶をしている。(定かでないが?)

真宗王国の北陸は、信仰心が篤く、福井県は、本願寺派、石川は、東本願寺派が、多いと聞いています。現在の本堂は、約10年間で、再建されたことも理解できます。

火災当時は、門前は、アンケード街でした。その頃、婦人服の洋装店で、トヨタバブリカのバンで、仕立て上がった服の箱を積んで配達のアルバイトをしていたことを思い出しました。これが綺麗なお姉さんばっかりのお店で、楽しい思い出です。(苦笑)

どうして、ジムの風呂場で聞き込んだ話がここまで広がる?のかはわからないが、この頃のことを憶えているのが不思議です。

ちなみに入浴は、時間と距離をとって、その方々の方は、向いていませので、飛沫防止に、注意を払っています。

 

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コメント

子供の頃から遊び場の一つだった東別院の火事は今でも鮮明に覚えています。高校生の頃です。
私の実家は横安江町から3本目の通りにあり、始めは風下で火の粉が降ってきました。
熱かったです。

屋根に登って水道からホースを引きましたが水がちょろちょろ状態で役に立ちません。
その内風向きが変わって火の粉は別院の裏側の方に向かい何軒かは類焼してしまいました。

大伽藍が焼け落ちる時の鉛色の炎と轟音は忘れられません。

こんにちは。
東別院の火事…昭和37年だとするともう名古屋に居ましたので見ていなかったことになりますがハッキリ覚えています。再建は早かったのですね。
それ以前の大きな火災としては材木町小学校(既に廃校?)の消失は知っています。

小さい頃、消防車を追いかけていて迷子になりました…(-_-;)


石鉄さん
おはようございます。
そうですか。それは大変でしたですネ。恐らく数軒の類焼の方が、話をされていたと思われます。私は、それ以降金沢を離れておりましたので、再建も知りませんでした。それにしても門徒、宗門の力はすごいものであると驚嘆をしました。
コロナの時世も終わてもまた、このような再興が望まれます。世間の利害が一致すればですが、この例のようには、進まないような気がします。

こうじいさん
おはようございます。

再建の早さは、やはり北陸の信仰心にあると思われます。ご近所の方もご寄付をされた話を聞きます。その材木町小学校も廃校で、更地になったようです。先般SNSでみました。(旧材木町小学校校下のひと)
先般、家内のMRI検査(敬愛病院)で、あのあたりを回ってきました。

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