いつも購読をしているブログから
ブログはRSS機能のよって、更新状況がみれるようにしているが・・・。今日は禅宗の住職が書かれている中から言葉で気になった。
世間では自己を膨張させることに躍起になる節があるが、出世間では自己を忘れる機縁がなければ仏道とは言えない。出世間では自己を忘れる機縁がなければ仏道とは言えない。私がいてもいなくてもなんともない世界がある。おれがおれがとか、お前がお前がとかといった界隈に右往左往していていいのかと問われているということだ。自分さえよければそれでいいといった生き方とは方向性が違ってくる。 (引用; 再生への旅 の輪島市 興禅寺ご住職より)記事は 仏事を尽くして仏命を待つ
とのことである。生家の叔父、叔母がそれぞれ禅宗の住職をしていて、小さい頃から寺院には馴染みがある。叔父の寺は火事で焼失をしたが、ここの住職は、托鉢、檀家、信徒のご寄付で寺院を再建されたとのことです。 (能登の家々を托鉢をされたことは伺っていた)
このブログを読ませて頂いて、日常のことを照らし合わせて考えてみると、少しは、納得したり、気を静めたり、感謝をしたり、である。いつかは、お詣りをしたいと思いながら、日が過ぎてしまいました。
« 日経新聞の連載 ~新型コロナのルポ迫真~ | トップページ | ココログ @niftyブログ »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 菅総理の出張(訪米)(2021.04.18)
- 要らない?ものの整理(2021.04.17)
- 帯状疱疹後遺症と家遊び(2021.04.16)
- 気になるコロナ感染拡大(2021.04.15)
- ゴミ収集・ルール違反(2021.04.14)
コメント