高野山石道と女人禁制
高野山の参道は書によると、7参道あったととのことであるが、その境内に入口には、女人禁制で、そこには、女人堂があったそうで、現在は、1ケ所だけ現存だそうです。本来は、高野口からであるが、境内から登ってみてきました。女性はここまで参拝できて、ここで待っているのが明治まで続いたそうです。明治の時にどのような経過で解けたかは、わかりませんが、それなりの意見があったと想定される。
仏様は、真言宗は、大日如来がご本尊であるから、考えるとその通りかもしれない。基本は、修行の場のイメージからそのような風習が生まれたのかもしれない。それを考えると、相撲土俵も論議も大いに結構かと思いますが個人的には、表彰状等を渡す人だけが土俵にあがれるのも修練の場所に門外人があがっているような気がする。
この参拝の為の山道が町石道(ちょういしみち)で麓の慈尊院の前に180町目の石碑がたてられている。少し歩いてみたが、石畳の道になっていましたが、大門の付近は、山路化して観光案内板と町石が残っているだけでした。180基の町石がたてられていたようです。大門から奥の院までは、36基の町石があるそうですが、いくつかは見ることができました。この石は、鎌倉時代のものらしく、慈尊院の180町は土に埋まっていました。
信仰の力は、こうして人をつないできており、今でも墓標を建て続けているのだと思われます。人は、最終的に余裕ができると精神的な安らぎをこのような形で表すのでしょうかね。それにしても壮大な祈りの町でした。



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